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時は流れて 紀元前2500年からの未来

ひとつの時代とは人々の魂の原点でもある

 

日本人の心は時代背景にある精神として人間の幼少期に育った環境に影響される。

 

親や教育者の考えが世界から見て正しいのかという見解は本人が世界を巡り、見て感じたことから正解を掴む他ない。

 

今もミャンマーは民主化開放されたというが言論の自由はないのである。世界では民主化イコール自由ではない。韓国でさえ言論の自由はない。

 

日本社会に深く刻まれた先祖の墓でさえ今では核家族化によって将来は廃墟として消滅する。

 

正しい仏教の教えが皇族の願望から姿形を変えて日本に入ってきた。自然界に生息する妖精のような神々を祀る風習は世界でも見受けられる。融合と都合の良い解釈で庶民の文化として進化していった。

 

200年後の未来を想像できるだろうか。そこには新たな科学と都合の良い快適な宗教が生まれていることだろう。

 

今は2017年。まだ人類の魂は発展途上にある。

 

生き方さえ迷いながらマネーにしがみついて生きている人々が多いことを憐れみに思うことさえある。脳と魂。その境目には思考能力の大きな差異が生まれている。

 

人はどこへ向かおうとしているのか? 世界の辺境にたどり着けば生きることの意味を再び考えさせられる。東南アジアでは仏陀の仏教が中心であるが世界人口からはイスラム教が圧倒的多数を占めている。更に細分化され争いごとが絶えない世界だ。

 

人々は資本主義・社会主義・民主主義という名の元に差別化社会を生きている。心は荒み、恨みを持ち続けながら。

 

現世は夢、報われるのは死後という考えを持つ人もいる。まるで映画のマトリックスのように人工知能が現世の行いを監視して行動を抑制する。

 

いつから、我々は自由な心を失っていったのだろう。高度成長に支えられて豊かな物質社会を手に入れることができた。でも、心の自由を失った。猜疑心が人間不信へと繋がった。

 

いつなのか? 我々は心の余裕で生きられる時代社会が訪れるのは? 

今の人類には設計図がない。何年後の世界ではなく、何世紀後の世界を子孫がこのように幸せに暮らしてほしいという設計図を誰も描いていない。

 

人類の幸せとは何かと考えた時に我々の魂の進化がはじまるのだ。

 

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