流星 おがしゃのブログ

冒険という夢を追いかけて世界を旅しています。いつしか世界中を巡り自分の居場所を探し出したいと考えています。 

旅すること

人生で一番幸せな時の流れ

将棋にかけた夢を振り返る

僕は将棋のプロ棋士になるつもりで勉強していたことを思い出した

 

幼い頃、母方の祖父が囲碁将棋が好きだった。遊びに行くと、従弟や兄弟仲間で将棋の駒で「まわり将棋」として遊んでいたことを思い出した。これが将棋との出会いである。祖父の子供(叔父)には囲碁のアマチュア世界で今も腕を磨いて勝ち進んでいる人もいる。

 

将棋の世界に魅力を感じてプロになりたいと思ったのは中学生になってからだ。親に地元の師匠に弟子入りしたいと懇願したことがあった。学業は中学1年生まで授業以外は全く勉強しなかった。それで、いつも成績は中間層にいた。中学1年になりプロ棋士を目指すなら勉強を頑張りなさいという親の暗黙の言葉で勉強を始めた。そして、親の引越しで他校に転校してから、いきなり学年10番以内に躍進したのである。

 

高校受験の中学3年の2学期までは県内・市内で偏差値1位の高校へと教師に勧められた。しかし、僕はプロ棋士になりたかった。僕の親には義務教育以外の学歴がないので高校受験というレベルの意味さえ、深くは理解していなかった。やがて棋士への意思が強まるにつれ、受験勉強をする気力を無くした。その後、僕は学校開業以来という成績の下降を辿ることになった。

 

棋士への道を閉ざされた僕は、バイクでも通えるという比較的自由な校風で、海に近い県立高校へと進んだ。

 

やがて、その高校で成績トップとなって国立大学や私立大学からの推薦入学の優先順位1位を得ていた。しかし、僕は次点の人に譲って大学受験勉強もろくにせずに一般試験で首都圏の大学を受験した。当然ながら落ちまくる結果となった。そして大学で何をしたいのかもわからず、とりあえず受かった大学に通うことになったのである。

 

そして同じようにバイクで大学へ通学するようになった。田舎育ちだったので都会が新鮮に感じた。銀座のドーナッツ店でバイトを深夜から朝方までしていたのである。

 

授業はバイトと音楽で殆ど出席できていなかったが、落とした単位を何とか夜間部授業に出席して拾った。最低単位を取れて3年に進級でき、研究室でも無事論文を作成して4年で卒業できた。作詞作曲でプロになれるはずもなく路地裏のライブハウスで唄っていた。

 

就職活動で周りの仲間が走り出している中、何が何だかわからず友達について行ったIT大企業に友人と一緒に面接を受けた。友人がその企業に落ちたことを後で知ったが、僕はその企業に入社を決めていたのである。

 

そして年月が流れ、僕は西新宿の高層ビルで昼夜を問わずコンピュータ業界で働いた。屋台のラーメンとカラオケ・スナックと音楽が20代の自分に脳裏として焼き付けられた。コンクリートジャングルでのプログラミング生活だった。

 

そして月日が流れた。

 

棋士は僕の憧れの人生だった。

 

 

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「無我」 藤井 猛 九段